音楽思い出アルバム ≡刀ふえ♪≡の自己紹介です


私と音楽の出会いから今までを書いてみました。   


そもそもの話・・中学時代

フルートとの出会い

フルート一筋・・学生時代

そして・・・再び青春!


そもそもの話・・中学時代   (ピッコロからテナーサックスへ)

中学校1年の春、縦笛が大好きだった私は、日立市助川中学校のブラスバンドに入りました。
これが私の音楽人生の始まりでした。渡された楽器は、銀色の小さな笛PICCOLOでした。

部で一番背の高かった私が、一番小さな楽器をやる・・・・ 
何とも妙な感じでしたが、試しに吹いてみるとすぐにピーという甲高い音が出ました。
簡単な指使いを教えてもらうとその日の内に曲が吹けました。
音すら出せないと思った先輩達は驚いたらしく、
他の楽器を試すことなく私の担当はピッコロになっていました。

しかし、当時のブラスバンドの舞台は、年一回のコンクール以外は、街頭マーチングがほとんど。
背の高い男がポケットに入ってしまうような小さな楽器を吹くことに恥かしさを感じていた私は、
他の楽器がやりたいと申し入れ2年からテナーサックスをやることになりました。
大きな楽器を持った私は、喜び勇み、そのまま中学校を終えました。

tsax.JPG (17351 バイト) 後方の背の高いのが私。ちなみに使っていた楽器は真っ黒に錆びておりました。


フルートとの出会い・・高校・予備校時代 (クラリネットからフルートへ)

入った高校は、地元の高校。当然のようにブラスバンドに入りました。
しかしサックスは複数の先輩がおり空きなし。
同じリード楽器ということでクラリネットを担当することになりました。
この楽器の音色が何故か好きになれないのです。

cla.JPG (30965 バイト)  前列右から3人目が私。仕方なくクラリネットを吹いていました。高一。

そんなある日、女子先輩(上の写真左から2人目)のフルート吹きと話しているうちに
私がピッコロを吹けることが知れ、
彼女のフルートを借りて吹いてみると、思いもかけず実に綺麗な音が出たのです。
驚く彼女は、フルートをやったら・・・実は私、もうクラブ活動をやめるつもりなの・・・
この楽器貸してあげる・・・ 
ということになり、突如としてフルートをやることになりました。
この時から私の笛人生が始まったと思っています。
もう名前も忘れてしまいましたが、**さん、ありがとう!

フルートが好きになると同時進行するように
私のクラシック音楽への興味も加速度的に強くなっていきました。
そんなある日、友人から借りた一枚のLP、
バッハの管弦楽組曲第二番、フルートが活躍する曲ですが、
この演奏をしていたマクサンス・ラリューの瑞々しい音色に魅了され、
自分の出したい音の憧れができました。
その音色を求め毎日練習に励んだような気がします。
ブラスの練習終了後、何時間も校舎の廊下で一人で吹きまくりました。
片思いの、あの子が聞いてくれたならいいなあ・・なんて思いながら(^^;

fl1.JPG (63803 バイト) 前列左から2人目のフルートが私。


楽器を貸してくれた先輩が卒業するころ、
私は、親友が何故か持っていた日管のフルートFL−11
これを5千円で譲り受け初めて自分の楽器を持ちました。
非常に調子の悪い楽器で年中調整しないといけない状態だったのですが、
これはこれで後日のフルートメンテナンス技術の習得に役に立ったと思います。
フルートを吹く傍ら、バンドの指揮も担当して合奏の楽しさと難しさを体感。

こんなわけでフルートに熱中し過ぎた私は、大学受験に見事に失敗(4戦全敗)。
水戸の予備校へ通う身になりましたが、
ここで出来た彼女に笛を聞かせたくて予備校の授業終了後、
教室で何時間も笛を吹く日々が続きました。
灰色のはずの浪人時代は、そんなこともあり、ばら色になり、
何故か勉強にも身が入ったようで浪人生活は1年で終了。


フルート一筋・・学生時代  (オーケストラ活動&フルート教師生活)

昭和46年、生活の場は、岩手県盛岡市、岩手大学の工学部へと移りました。
手元には両親が合格記念にと買ってくれた米国製のARTRAYというフルートがありました。

入学式当日、学内あちこちで呼び込みをかけるサークル活動の中に「
岩手大学管弦楽団」の人達がいました。
何の躊躇も無く即時入団を申し込み、その日の練習から参加しました。
練習は、新入生歓迎イベントのためのもの。
曲目は、チャイコフスキーの胡桃割り人形からの抜粋とグルックのオペラ序曲「アウリスのイフゲニア」。
フルートパートには、3人の先輩がおりました。
が、何故か翌日から私は、序曲の方の1stフルートをやっており、
自分達新入生のための演奏会を自分で吹いておりました(^^;

そこからの私は、完全に笛狂い状態。
1年の前半は、音楽課のピアノ練習室とついでに音楽科の女子学生を伴奏者として引き込み
授業にも出ないで毎日笛吹きを続けておりました。

結果は、1年終了時に16単位不足(^^;
このつまづきは大きく、学友に代返を依頼しまくり、
出席日数を稼いだものの、試験を受けた講座の教授の顔が分からず別科目の試験を受けてしまったり・・・
結局2年、3年は仮進級というありさまでした。

しかし、この間でしっかりとオーケストラ演奏の喜びを見出しました。
山中湖で行なわれた全国大学オーケストラ連盟の合宿にも参加、
この時に演奏したのがフランクの「交響曲」とガーシュインの「パリのアメリカ人」
オーケストラ活動の素晴らしさに目覚めたような気がします。
個人的事情も絡んで2年間で退団することになってしまいましたが
オーケストラでの演奏の楽しさ、素晴らしさを実感できた時期でした。

ganoke1.JPG (30293 バイト) 
ガンオケ1年目。後ろから3列目の左端グレーのスーツが私。曲はベートーベンの8番とVn協奏曲他。

ganoke12.JPG (84794 バイト) 
  2年目。第12回定期演奏会モーツアルトの交響曲40番ト単調、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番他

ganoke2.JPG (67852 バイト) 
モーツアルト40番(左端=筆者)
pcon.JPG (51332 バイト) 
ピアノ協奏曲リハーサル風景
この演奏会を最後にでガンオケを離れました。

時間の余裕が出来た私は、
盛岡市内の某楽器店で*A*A*Aのフルート講師として
子供から大人までを対象としてフルートのセンセイを始めました。
ここで得た収入で生まれて初めての銀の笛、サンキョーの「シルバーソニック」を手に入れ
一人黙々と笛練習に明け暮れていたある日のこと、
教師仲間の一人から声をかけられました。

岩手県民オーケストラが出来た。君さえ良かったら参加しないか!」
嬉しくて飛び上がるようにして練習会場へ飛んでいきました。

ここで卒業までの1年半を活動。
当時、フルートは、5〜6人のメンバーがいらっしゃいましたが、
運良くソロフルートをやらせてもらえる幸運に恵まれました。

この期間中、最も記憶に残っているのが
第2回定期演奏会、岩手県初演奏となったベートーベンの第9「合唱付」でした。
私の楽譜に書かれた浜田先生のお言葉と共に私のマイルストーンになりました。

参加した最後の演奏会は、第4回定期演奏会のベートーベンの第3番「英雄」でした。
こちらも1’stフルートを担当させていただきました。
4楽章のソロで苦労したのが思い出されます。

 一番の思い出は・・・ やはりベートーベンの交響曲第9番「合唱付き」です。
光栄なことに1番フルートを担当させてもらえました。
写真の中央、指揮者の前で笛を吹いているのが当時の私です。
使っていた楽器は、SANKYOのシルバーソニックでした。

 Huedai9.jpg (110754 バイト)

もし時間があるのなら・・・ 当日の会場録音より 
1楽章 
2楽章 
3楽章 
4楽章


no9score.jpg (160009 バイト)  
  第9のフルートパート譜表紙

 
 hamada.JPG (28042 バイト) 
裏に書かれた 恩師、浜田先生のお言葉


 そして・・・・

昭和50年、卒業と同時に地元日立の企業へ就職、
早速「日立交響楽団」に入団したものの、現地出張等の関係で結果的に退団。
長いブランクに入らざるを得ませんでした。ちょこちょこと吹いてはいましたが・・・

そんな中、成長した娘がピアノを習うようになり、一時はブラバンでフルートも吹きました。
新しいフルートが欲しくなり、YAMAHAのフルート(YFL-451)を買ってもらい・・・
ふとしたキッカケでピアノの先生とデュオをすることができるようになりました。
ピアノ発表会でゲスト演奏をさせてもらったりして再び笛の楽しさを味わうようになりました。

duet.JPG (45625 バイト) 
演奏したのは「春の海」「モーツアルトのアンダンテ」「フォーレのシシリアーノ」他
伴奏をしてくれたのは、娘と亀のピアノを習っていた辻村先生です。
ちなみに娘の名前は「ちなみ」(^^
 弾いたのはコレ
  親に似て?何とものんびりと弾いておりました。

その後、仕事の関係で再び笛を吹くこともめっきり少なくなりましたが、
Music Minus OneのCD(要するにフルートのカラオケです)で、
バッハやモーツアルト、ビバルディの協奏曲や室内楽を吹いておりました。

いつの日にか、もう一度皆と一緒にやりたい・・・
   あの頃の夢を忘れずに、心の中に残るものを作りたい・・ と思いながら。

hirouhue.JPG (17224 バイト) この時の録音
自分達の結婚披露宴にて・・・ 伴奏は、娘のピッコロでした。

Huehirou.jpg (14816 バイト) 
2000.11.5 長男の披露宴にて  (初めて燕尾服着た!)

そして1人のバカ息子は・・ ryo.jpg (196775 バイト) 彼の♪

2000年暮れ・・・My HP「ピッコロネット別荘」を作りました。
そのホームページ活動を通じて新たな笛人生が始まったのです。

全国の笛吹きたちとの出会いがあり、
念願の新しい笛(MURAMATSU PTP)を購入し、フルート演奏が本格再始動させ現在に至っております。


茨城管樂合奏団への入団・退団

地元でクラシック音楽を専門に演奏する「茨城管樂合奏団」の存在を知り、
最年長ではありましたが快く入団させて頂きました。

2001.11.4(日) 第28回茨城管樂合奏団定期演奏会。
なんとか出させて頂いたのですが、その直後に東京へ単身赴任・・・・
退団せざるを得なくなってしまいました。
たった半年間でしたが、仲間の音楽に対する真摯な姿勢に教わるものはとても多く有意義でした。

フルートパートの皆さんを含め、団の方々にはご迷惑・ご心配をおかけしました。
ご指導、ご厚意に本当に感謝しています。この経験を力にこれからも頑張ります。


hall.jpg (38421 バイト)  newworld1.jpg (47287 バイト) 
ぐちゃぐちゃになった楽譜(新世界1楽章の一部)
開演前の会場(日立シビックセンター大ホール)
私は最前列舞台に向かって右から二人目に座りました。
CAMELは、2階最前列中央にいたそうです。(気がつく余裕もなかった)

この時の私が参加した演奏から  
ベートーベン 序曲 エグモント
ドボルザーク 交響曲第9番 新世界より  1楽章  4楽章

アンコール タイケ「旧友」


       
huedall.jpg (23441 バイト) CAMELが記念に作ってくれた人形です。
当日のパンフレットが背景。
浜松楽器博物館で買ってきた楽器を持っています。
若すぎる? 痩せすぎ?!  まあまあ(^^; 


 2003.12   hue_chouhu1.jpg (27169 バイト) ぶっつけ本番演奏会@調布

笛仲間の気まま猫さんから出ませんか! との誘い
翌日、車を走らせること7時間、調布市の「くすのきホール」へ
伴奏をやって頂いたBettyさんと数分言葉を交わしただけで、いきなり本番

これぞ本物の「ぶっつけ本番」でした。
アクシデントは・・最後の数秒、無音の空間・・・わかるかな(笑)


そして 今・・・・再び私の新しい青春が始まりました。

2003年秋、28年間続けたサラリーマン生活と決別し、自立を目指しました。

吉田正音楽記念館に5年間勤務、館の運営と共に演奏活動も活性化しました。

私の演奏活動 ♪ふえ♪のWEBコンサート

2005年2月13日、私とCAMELの長男誕生!
孫より年下のこの息子!?  さて笛吹きにするかどうか(笑)

脱サラの本来の目的である、自主事業の展開もようやく実を結びました。

2004年 音響機材の開発・販売会社 FAPSを創立。  FAPS WEBショップグループ